中国中秋節の由来

文化・習慣
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今回は、中秋節についてご紹介します。中秋節は旧暦の8月15日、西暦だとだいたい9月の中下旬あたりにやってきます。

では、中秋節の由来はどんな物語があるでしょうか。

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中秋節の由来

登場人物

物語りを紹介するにはまず以下の登場人物を覚えておく必要があります。

後羿:「ゲイ」の呼び方が出ているけど「ゴイ」のほうが正しいような気がします。
嫦娥:「じょうが」、「後羿」の妻
蓬蒙:「ほうもう」、いけないおじさん

ストーリー

昔々、空に10個の太陽がありました。

暑くて暑くて農作物は枯れ、民も暑さに苦しんでいた。

この状況を打破するには、万斤の宝の弓を使って、太陽を射ち落すしかありませんでした。

そこで「後羿」という勇敢なる好青年がいて、誰もが使えない宝の弓を引くことができました。

「後羿」は宝の弓を使って、太陽を次々と射ち落していきました。

1個、2個、3個・・・9個も射ち落とした。ついに最後の10個目の太陽しか残っていなかった。

最後の太陽が、「後羿」に射ち落とされるのを怯え、「わかった、もうおとなしくするから」と許しを乞った。

「後羿」は怒りの弓を納め、最後の太陽に、決まっている時間に昇り、決まってる時間に沈むと約束させた。

村人たちが大喜びで、「後羿」を救世主、英雄として敬い、「後羿」は「嫦娥」という美しく賢い嫁を取り、幸せに暮らしていた。

とある日、「後羿」は狩りの途中に、仙人に会いました。

道士は「後羿」に感服し、お礼に不老不死の秘薬を渡した。飲めば仙人になれるという。

「後羿」は薬を嫦娥に渡し、家に保管していた。

不老不死の薬があると噂聞いた「蓬蒙」という悪賢いおじさんが、ある日、「後羿」が出かけている時に、嫦娥に「薬出せ!」と迫った。

嫦娥が、必死に薬を守ろうとしたが、「蓬蒙」に敵わないため、とっさに全ての薬を飲み込んでしまった。

すると、体が軽くなり、空に舞い上がった。

嫦娥は、夫を思う気持ちが強く、一番近い月に降り立ち、夫を見守りつづけることにしました。

その日が旧暦の8月15日でした。

その後、「後羿」が毎年月が一番大きく綺麗に見える8月15日に、テーブルに妻「嫦娥」の好物の食べ物を並べ、妻のいる月を眺めることとし、のちに中秋節となった。

なので、中秋節になったら、各地に出かけている家族を呼び戻し、月を象徴する月餅を食べるという習慣も定着してきた。

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