【未解決ミステリー】中国で最も有名な「黄延秋宇宙人事件」、宇宙人?UFO?超能力?真相はいかに

都市伝説・ミステリー・未解決事件
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今回は、中国のテレビでも報道されている未解決のミステリー事件「黄延秋事件」をご紹介します。
この「黄延秋事件」は中央テレビ(CCTV)を含めた多くのテレビ局に、ドキュメンタリーとして放送され、多くのUFO、宇宙人やミステリーの愛好者に語られてきましたが、いまだに真相不明で、中国では最も有名な未解決ミステリーの一つでもあります。

また、この事件は「黄延秋事件」、「黄延秋宇宙人事件」、「黄延秋フライングマン事件」など、いろんな呼ばれ方はあります。

では、ご紹介しましょう。

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「黄延秋」という人

黄延秋、男性、農民、1957年生まれ、河北省邯郸市肥乡区旧店乡东北高村(←中国語地名)の人です。

この方が、主人公です。

この話関連の場所はこちら。

では、事件の主人公「黄延秋」はいったいどんん経験をしたか、詳しくご紹介しましょう。

1回目の失踪(1977年7月27日)

ことの発端はこうだ。

当時、20才で結婚直近の黄延秋は、1977年7月27日の夜に、なんの前触れもなく突然家から消えた。

結婚が近いし、家出する人でもなかったので、村人たちは十日間探し続けたが、結局消息不明だった。

すると、突然消えた黄延秋のことが噂となり、3キロほど離れた隣村(辛寨村)まで流れた。

驚いたことに隣村(辛寨村)の人から一通の電報が届いてたことがわかった。

電報の内容はこうだ。

「辛寨村黄延秋在上海蒙自路遣送站收留望认领 7月28日」
日本語に訳すと、
「辛寨村黄延秋は上海の蒙自路の収容所にいるので引き取りに来てください 7月28日」

電報の内容からわかったのは、

1、黄延秋は失踪の翌日に電報が出されたが、宛先が間違って隣村(辛寨村)に届いてたこと

2、失踪の翌日(7/28)に電報出たということは、黄延秋家から消えた10時間後に上海にいて、収容所に入って電報を出したということですが、失踪から電報が出るまでの時間が、短すぎた。

短いと思われる理由は、黄延秋の家から上海までは1140キロの距離で当時最速な汽車でも、22時間かかる。さらに黄延秋の家から汽車乗るまでは45キロの距離もあるからだ。

いずれにせよ、これで失踪した黄延秋の居場所もわかったし、ひとまず上海に行って、人を引き取らないといけないので、黄延秋の従兄が金を集めて遠路遥々上海に向かった。

無事黄延秋にあって、なんで突然消えたかと色々と問い詰めてみると、黄延秋本人曰く

7月27日、蒸し暑かったし新居の準備で疲れたので、夜10時に寝たが、しばらくすると周りが騒音に起こされた。

何事かと思って起きてみると、なんと周りに高層ビル、眩しいネオンライトと、まったく知らないところにいた。そこで「南京飯店」という文字を見たので、「南京」にいるんだなとわかった。

すると、2人の自称「交通警察」の人があらわれ、「上海に行きなさい」と、南京〜上海の汽車チケットが渡された。汽車に乗って上海駅で降りたら、「交通警察」の2人がすでにそこで待ち受けていて、黄延秋を収容所に送り届けた。

黄延秋本人含め、わけがわからない状態でしたが、それ以上に考えても何も出てこないので、この件はいったん終わりとし、黄延秋は引き続き結婚の準備と日々の農作業に専念した。

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2回目の失踪(1977年9月8日)

黄延秋が1回目の失踪にいろんな疑問を持ったまま、1ヶ月ほど不安な日々を送ったが、しかし、1ヶ月後の9月8日に、黄延秋が再度、謎のように消えた。

村委員会の会議が終わり、黄延秋が翌日に農作業もあり、早めに家へ戻り就寝したが、そのまま、再度家から消えた。

ただ、前回と違ったのは、自宅の壁に何かでほったような文字が刻まれていた。

「山东省の高登民、高延津,安心してください。」

2回目失踪した黄延秋は、再度上海に現れていたが、そこで紆余曲折があり、3日後の9月11日に、吕海山という同郷の協力のもとで、無事村へ戻った。

なんで?という村民達の質問に、黄延秋は失踪後のことを語った。

9月8日夜10時、翌日の農作業を考えながら寝たが、目が覚めたら上海駅近くの広場にいた。当時、広場の時計塔を見て、夜中1時だとわかった。また、急に雨が降り出し、途方に暮れた彼はその場でどうすることもできなく、泣き出しそうになった。そういえば、上海に確かに軍に入ってる同郷 吕海山 がいるから、彼に頼るしかないなぁ。でもどこにいるのか、どうやっていくのか…どうしましょうと困っていた。

ちょうどその時、警察に見える2人が再び現れた。(1回目失踪したの2人の交通警察と似ていた)

「黄延秋さんですよね、軍にいきたいのか、我々は軍の幹部に依頼され、ここで待っていたので、いまご案内しましょう」いわれた。

疑いはしたが、当時は、一緒に付いていくほかなかったので、同行することにした。

何回かバスに乗り換え軍に駐屯地にたどり着いた。軍の領地なので、当然門番や検問もたくさんいますが、黄延秋と警察の2人が、まるで気づかれていないように検問もされずに領地に入ることができた。

吕海山に会えた時に、大変驚かれていた、「なんでここにいるの?」「どうやって入ってきたの?」などと、いろいろ聞かれたが、黄延秋は2人と一緒にきたと言って振り向いたら、2人はいつの間にか、いなくなっていた。

そこで自分に起きた変な出来事を話した黄延秋が、結局交通費をもらって、汽車にのって1100キロ離れた村に再び戻ってきた。

これが2回目の失踪ですが、ただ2回目の失踪から村に戻ったら、何か取り憑かれているのではとか、何か変な人、と思われるようになり、黄延秋の婚約者の女性も怖くなり、婚約が廃棄された。

3回目の失踪(1977年9月20日)

ただ、これでも、終わりではなかった。もっとも不思議なのは、この3回目の失踪だった。

同年の9月20日、黄延秋が夜10時ぐらいに自宅に戻ったが、庭に入ったとたん、めまいで倒れた。

目が覚めたら知らない旅館にいて、隣に2人が座っていた。

事件後、専門家チームによる2人の顔はこんな感じだった。

 

2人曰く、この旅館は、黄延秋の村から1000キロ離れた甘肃省兰州市で、1回目失踪時の交通警察と、2回目失踪時の軍の使いも、この二人が変装だったという。

今回、再度黄延秋を連れ出した目的は、黄延秋を連れて9日間の9つの大都市を見回る(小旅行)ことだった。

その日の晩ご飯のあと、2人が黄延秋を背負って、空を飛んで1200キロ離れた北京に向かい、1時間ぐらいで北京に着いた。

北京で、3人は劇院に入って京劇を観賞したが、チケット買わずにそのまま入場できたし、気づかれていないようだった。

その後、ハルピン→長春→瀋陽を周り、また、続いての何日間は、福建省福州市、南京市、陕西省西安市を周り、9月27日に、再度甘肃省兰州市の旅館に戻った。9月28日黄延秋が寝てから、黄延秋実家に送り届けられた。

この3回目の失踪について、黄延秋本人曰く

まずは逃げても無駄だと思った。2人は順番で見張られて、終わったら帰らせると言われていたから、言われたとおりに従った。

背負われて空を飛ぶ時は、人間の体温が感じられたので、人間であることがわかった。飛行速度はかなり早いはずだが、風は感じなかった。

2人は荷物は持っていないが、毎回どっかから着替えの服だったり、財布だったり、旅館宿泊用の紹介状だったりを持ち出されるのと、各地の方言も話せる。

また、1日3食で普通の人間と全く変わらないのと、記念写真は一切撮ってはいけなかったし、記念品も買ってはいけなかった。

この3回目の失踪のあと、あの2人が現れることはなくなり、黄延秋も普通の生活に戻った。

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なぜ40年たっても黄延秋事件が注目され続けるのか

中国でも、当然いろんな不思議体験を語る人はいるが、なぜこの黄延秋事件が40年以上経っても、こんなに注目されるかというと、黄延秋事件には、多くの証拠(1回目失踪時の電報、壁に残された人の名前の文字)が残されているほかに、関係している人(証人)も多かったからだ。

この証拠から、少なくとも1回目や2回目の失踪は確実に起きたと推測できる。

でも、不思議な点も多すぎるし、語られた事件の全貌は、あまりにも奇想天外すぎるので、研究者も含め、真相を解明したい人も多かった。

この事件で、黄延秋本人もそれなりの有名人になったし、いろんなところの研究チーム、医療チーム、テレビ取材班の研究対象兼取材対象にもなった。

ここからは、黄延秋事件に対しての3つの説をご紹介します。

夢遊病説

ここからこの事件に対するいくつかの説をご紹介します。まずはこの夢遊病説です。

黄延秋が注目され、国からも研究家チームを作って事件を解明しようとした。そこで黄延秋を研究施設で催眠を行い当時の様子を思い出させたり、嘘検知を実施したりしていた。

結論、黄延秋自身は、夢遊病に似ている病気(癲癇に似ている病気)の可能性があり、幻の記憶の可能性が指摘された。

ただ、仮にこの3回の失踪事件が本当に夢遊病だったとしても、1回目や2回目は、短時間で長距離の移動の謎が解明されない。

また、黄延秋自身もその後、変な失踪もなかったし、普通に結婚し子供が生まれ、いまや60才過ぎのおじいさんになるが、変な病気が発症されていない。

なので、この夢遊病説はあんまり支持されていないようだ。

宇宙人説

宇宙人といえばなんでもできる印象はあるが、なんでも宇宙人、UFOにするのは簡単ですが、証拠がなにもない。

あと、宇宙人は地球人と同じような容姿で、言語も使える、体格も同じってのも、ちょっと信じがたいところはあると言われている。

ただ、噂によると、当時1977年に黄延秋の実家の肥乡区あたりに、変な発光体が空に飛んでいる目的証言があり、真偽は確かめられないが、可能性はあると言えよう。

超能力者説

宇宙人ではなく、あくまで空を飛ぶ超能力を持つ地球人の仕業、という説もあります。

ここまでくると、なんでもありのような気もするが、そんな超能力者が見つかっていない限り、この説もなかなか説得力が欠けると言われている。

最後に

50年近く経ったとしても、真相は未解明のままです。

本来なら、だんだん忘れ去られてもおかしくない失踪事件ですが、確たる証拠と証言、とんでもない事件の経緯、国も真相解明しようとしていたことから、注目度が相変わらず高く、中国建国後の未解決ミステリー事件として語り続けられている。

いかがでしょうか。ぜひあなたの意見も聞かせていただければと思います。

では、今回はここまで。

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